歯磨き粉の歴史を紐解く

古代エジプト

世界で一番最初の歯磨剤は古代エジプトの医学書の内容が記載されたパピルスだろうという意見が大半で、そのエジプトでさらなる新化を遂げたようです。 4世紀頃には食塩や黒胡椒、アイリスの花とミントの葉を混ぜ合わせた粉末状の歯磨剤が使用されていたようで、 この頃は間違いなく粉だったので歯磨き粉という名前もしっくりくること請け合いの歯の守護人となっていました。 また現在では考えられないことですがアンモニアが歯を白くすると信じられていた頃もあったようで、人間の尿を歯磨剤として有効活用していた時代もあったそうです。 あまりやりたくはない方法ですが尿を飲む健康法もありましたし、それに比べたら尿で磨く程度なら奮い立たせる勇気はそこまで膨大でなくても良いのかもしれません。 とにかくいろいろと熟考されたり試行錯誤することで、より身体によい歯磨き粉が開発されてきたのでしょう。 尿を使うという発想を最初に思いついたのがどんな人かは知りませんが、それを試した勇気は立派なものだと思いますし、 その人に言われるがままに「これ身体にいいから」と勧められて後に続いた人々も尊敬されるべきでしょうが、 今でも同じことをする人がいないということは不完全な発想だったのではと思われます。 尿で磨くことで白く輝く歯を手に入れることが出来たのかもしれませんが、現在では廃れてしまったのでそれほど良いアイデアではなかったようです。 もしこの技が今でも続いていたらと考えると少し足が竦んでしまいますが、とにかく現代人はおしっこで歯を磨く必要がないのは幸いです。 実行するかはともかく迷う必要も無いので私達は幸せです。

日本の歯磨き粉

エジプトに比べると日本で歯磨き粉が一般的に流通しだしたのはかなり遅く、なんと1625年になるまではみんなが使うことはなかったようです。 最初に売り出したのは江戸の丁字屋喜左衛門で、字屋歯磨という名の歯磨き粉を口臭を消し去ったり歯を白くする効果があると販売開始しました。 現在ドラッグストアで販売されている物ほどの高性能ではありませんが、それでも江戸に住む人達のハートを鷲掴みにするだけの威力はあったようで 江戸っ子にも大人気のマストアイテムになったようです。 江戸っ子が歯を磨く姿は想像しにくいですが、それでも真っ白の歯に憧れ欲するのではないかというのはなんとなく分かります。 江戸っ子の気質を天気で言えば晴天ですし、眩しく輝く白い歯は江戸っ子としてはどうしても手に入れたいものだったのかもしれません。 字屋歯磨には目の細かい研磨砂に各種漢方薬が調合されており、上手に使うことで歯をきれいにすることは充分に可能だったとは思われます。 これを使い他の人よりもより白くより眩しい自分の歯に磨きあげることは勝気な江戸っ子にとってとっても重要なことだったでしょうし、 周りの仲間達が使っているのなら自分はその3倍使って一番白くなってやろう、と考えるでしょう。 字屋歯磨の流行もあってか当時の浅草寺付近には数百軒もの房楊枝屋が関連商品を販売していたほどで、参拝客もきっとお土産に大量に買い込んでいったのでしょう。 江戸っ子に虫歯が似合わないのは誰もが思っていることですし、「白い歯=江戸っ子」と考えてもよいかもしれません。

アメリカの歯磨き粉

18世紀のアメリカでは焦げたパンを混ぜ合わせた歯磨剤が使われていましたし、混合樹脂に焦がしたミョウバンやシナモンを混ぜた ドラゴンの血と呼ばれる歯磨剤の存在も確認されているので近代社会になる以前から歯磨きという概念はあったようなのですが、 庶民が習慣的に使うようになったのは19世紀になってからのようです。 それ以前にも歯磨きという行為はあったのですが粉やペースト状のなにかを付けて行うのではなく、水だけで磨いていたそうです。 これでも歯の表面に付着した汚れはそれなりに落とせるでしょうが、今に比べるとあまりやりがいのない地味な磨き方に感じられます。 19世紀には歯磨剤を使うようになってきますが、市販されているのを使うのではなく各家庭で作られた自家製のものが広く使われていたそうです。 レンガを粉砕して粉状にしたものや塩を混ぜ合わせたもので、塩ならなんとなく歯にも良さそうですし粉状の物質があれば磨けそうな気もしますが、 すこしばかり大雑把すぎる製造方法かもしれません。 ともかく用途には合っているっぽいので一般的に使われていたようで、しばらくは粉状のそれで歯磨きをしていました。 1900年代になると今と同じようにチューブに入ったペースト状の歯磨剤が広まり、やがてフッ素化合物が配合された歯磨剤も登場します。 当初はあまりよい評判もなかったこの最新型の歯磨剤ですが改良を重ねるうちに人気もうなぎのぼりとなり、 今のアメリカ人が手にしているような歯磨き粉へと立派な進化を見事に遂げたのです。